
悟り<解放>ナビ
それは、ここにある。
解放
ここでお伝えするのは、艱難辛苦から逃れる方法ではなく、
艱難辛苦を生み出すことができなくなる唯一のものです。




すべては「私」の介入なく、自動で起きている
人生には様々な悩みや苦しみが常につきまといます。
これを読んでくださっているあなたも、悩みや苦しみから解放されるために、
さまざまな方法を試されてきたことでしょう。
今もその最中かもしれません。
悩みが解決すべく本やネット情報、スピリチュアルや心理学、セラピーが溢れかえっています。
でも、どれだけ探しても試しても、悩みは尽きることがありません。
ひとつ解決しても、しばらくするとまた次の悩みが湧きます。
時に、瞑想をして思考を消そうとするかもしれません。
それは間違いではありませんが、そこには思考を消そうとする思考が働く矛盾があります。
それは出口のない迷路のようです。
このまま迷路を彷徨い続けることに、苦しみから逃れられないことにうんざりしていませんか?

よくスピリチュアル業界で言われるのは、「光を選ぶ」「豊かさがすでにあると思って過ごしましょう」等々。
引き寄せの法則等もあります。
確かにそれらは、言葉にすれば「方法」ではあるのですが、苦しい時に苦しいと言わずに「私は幸せ!」と本当にその状態で過ごせますか?気分が良くない時に良い気分でいられますか?
苦しい時には苦しい、悲しい時には悲しい。嬉しいから嬉しい感情が自然に湧き起こります。
違いますか?
苦しい時はただただ苦しいのが自然です。それが普通です。
ただ一つの事実からかけ離れた自然ではないことに、人は違和感を感じます。
目の前にある事実とはいったい何を指すのでしょうか。
「今」という瞬間が誰にでも平等にあります。
あなたの目の前には今、何がありますか?
これを読んでいるあなたの目の前には、パソコンかスマホの画面があり、
あなたはただそれを読んでいる
それがこの瞬間のたった一つの事実です。
それ以外はありません。
毎瞬毎瞬、目の前にあることだけが事実です。
そして次の瞬間に、何か思考が働くかもしれません。
しかし、たった今のこの瞬間も次の瞬間には、既に過去です。思考は後付けで事実を追いかけています。
思考は目の前の事実ではありません。
思考は「今この瞬間の事実」ではなく、脳による解釈であることは明確です。
思考は脳の機能による、記憶か想定に過ぎません。
目の前にあるもの以外は、思考によるあなたの脳内で創られたストーリーです。
過去を憂うこと、未来を不安に思う時、あなたはモヤモヤしてネガティブな気分になります。
それらは、「事実と違う違和感」から来ています。
過去は脳の機能による「記憶」。
未来は脳の機能である記憶と学習による「想定」。
人生は脳内ストーリー

イヤな感情が湧くという自然なことに対して、イヤな出来事を否定していることが実は苦しみです。
ここでお伝えしていくのは、イヤな出来事をなくすための何かではありません。
イヤな出来事がイヤでなくなる
その地点があるということを示しています。
艱難辛苦が激減する最後の到達点として、「悟り<解放>」という言葉をここでは用いています。
マニュアルやバイブルがあるわけではありません。全く必要のないものです。
ただそのままで良い、その安心感を伴う「気づき」が起こるときにわかるものを指し示しています。
その寛大さ、何がどうあってもいい
それがもう既にここにあり、私たちは自然にそれと一体化しています。
分離はありません。
そこには「私」という存在を介することなく、すべてが起きていることがわかります。
「私」という実体のない思考なしに、あなたという存在を最大限に活かし、幸せそのもので本来生きています。